こんばんは。こめりです。
少しずつではあるけれど、
短時間ながら職場に
ちょこちょこと行き始めている。
子どもたちと外の活動をしたり、
運動活動をしたり。
先日子どもたちとの
運動活動を数カ月ぶりにやった時は、
帰宅した時にはくったくたになっていた。
40分ドッジボールの熱量がすご過ぎて(笑)
子どものサポートよりも、
自分がその場に居続ける事に必死だった😂
子どもたちのボールの扱いが、
とても上手になっていて驚いた。
本当に迂闊にキャッチもしにいけない。
同僚たちのエネルギーもものすごい。
皆すごいなぁとひしひしと感じた。
自分もとりあえずダウンせず、
最後まで子どもたちとの時間を
やりきれたことに本当に
よくやったと心の中で労った。
帰宅した後は数時間仮眠して
なんとか簡単にご飯も用意して食べた。
体力をもう少し取り戻していきたい。
休職する前の自分はしんどいながらも、
本当によくやっていたんだなと感じた。
その自分を散々責めていたことを思うと、
自分に申し訳なくてひどい事を
してしまっていたなと。
でもその時の私は、役に立つ自分でいたかった。
頼りがいのある自分になりたかった。
恥のある自分を晒す事が嫌だった。
かっこいい自分でいたかった。
理想の自分になれないことが辛くて。
「できている自分」しか受け入れられなかった。
でも本当の自分は全然「できる自分」ではなくて。
できない自分には存在価値がなくて。
私はもうずっと「Doing」でしか
自分の存在価値を計れなかった。
自分がなにをしたか。
なにをやることができたのか。
「行動」の成果が存在価値だった。
母にいう通りに、母の機嫌を損ねない
行動をとることが幼少期からの
私の存在価値だと。
本当の存在価値は「Being」。
ただ「在る」ということだけで、
存在価値はあるのだと教えられた。
まだ体感ではこれを覚えることはできていない。
いつか体感できる日はくるのかな。
私はこれを頭だけじゃなくて、
身を持って知りたい。
他の人にはそれを感じられるのに、
「自分」だけが感じられないのは悲しい。
次に働けるようになったら、
もっと自分に優しく慈しみを
持ってあげられるだろうか。
いや、次に働けるように
なったらとは言わなくても。
くたくたになるまで
よくやってくれていた自分に、
優しく慈しむ機会は今この瞬間あるんだよな。

今日も一日お疲れさまでした。
今日もどんな些細な事もたくさんの事を
こなしてくれていた自分自身に拍手を👏🏻
穏やかな気持ちで休める、
楽な夜になりますように。
おやすみなさい。

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