うつ病非正規雇用こめびより

うつ病、アダルトチルドレンと生きている30代一人暮らし。底辺からの人生の再スタート。

うつ病会社員こめり 幼少期編

 

こんばんは!こめりです🍙

今日は母からケーキを貰ったのでめちゃくちゃ贅沢なおやつを食べれました🍰

ただ、以前は一度に2個、3個平らげてしまっていたのが30代に入り1個で十分になってしまい毎回体内の年を感じています(笑)

モンブランとても美味しくて幸せな気持ちになれました💕

 

さて、今回は自分がどういった経験をしてきたのかを書き綴っていきたいなと思います。私事なので、つまらないかもしれませんがよろしければお付き合いください!

 

私は4人家族の長女でした。父、母、弟という家族構成です。

住んでいた場所は母の実家で父はお婿さんとして来たそうです。

母方の祖父や祖母は母が20歳位の時に病気で他界しているので、遺影の写真しか見たことがありません。父方の祖父母は遠方に住んでいて一度だけ会いに行ったことがあるようですが私は2歳くらいだった為もちろん覚えていません(笑)

母が父方の家族を昔から嫌っていたのでお盆やお正月に会いに行くということも生前一度もなかったのでどんな顔をしていたのかすら知りませんでした。

幼少期の私は落ち着きがなくてとにかく人見知りで、写真を撮られることや人前に出ることが嫌いだった覚えがあります。実家にアルバムを見返すと隠れたり、ぶすくれてる私の写真が結構あります🤣落ち着きがなくて、幼稚園の劇のVHSを観た時ずー--ーっとひとりぴょんぴょん上下に跳ねている子がいました(私)←

この頃から既にお父さんとお母さんは仲が悪いんだな、ということは何となく感じていたと思います。というのも、幼少期はよくケンカをしていた記憶があります。まだお互い不満をしっかりお互いに話してぶつけ合っていたんですよね。母は、この頃が一番ヒステリックだったように思います。今思えば父が地域の集まりや仕事の付き合いなどは積極的にするけど、私や弟の世話や育児にはあまり参加せず母もワンオペ状態でいっぱいいっぱいだったんだろうなと🤔そして長女の私は、そんな極限状態の母の前で何か失敗したり怒らせるような行動をとってしまうとラップの芯の棒やリモコンでよく叩かれたり物を投げつけられたりしていました。ラップの芯は本当に痛かったです(笑)後にも先にも、母が私に対して手をあげたりしていたのはこの幼稚園に通っていた時代だけなのですが今思えば一番子供の人格が作られていく大切な時期に子どもに手をあげたらだめですよね(笑)まあ母もストレスだらけだったんだろうなと今は気持ちがわかるんですけどね😅

それでも家族みんなと出かけたり、旅行に行けていたのはこの幼少期だったかなと感じています。私が成長するにつれて全員でどこかに出かけるなんて全くなくなっていくので(笑)今でも、貴重だった旅行での思い出やみんなで出かけた時の記憶はしっかり覚えていたりするんですよね。この頃はまだ経済的にも景気がよかったので、父が会社や地域の旅行や集まりで買ってきてくれるお土産やコンビニで買ってきてくれる大量のお菓子やアイスをめちゃくちゃ楽しみにしていました(笑)

父にとって子どもへの愛情表現は物を買ってくるとかそういった事だったんでしょうね🍧

母はきっとそれも気に食わなかったんだろうなと思いますが🤣(笑)

 

そんな感じで小さい頃から喧嘩をよくしていた両親を見てきたけれど、家族で出かけた思い出もある幼少期を過ごしていました。この時点でもう不健全機能家族になっていますね(笑)それでも私にとっては楽しかった思い出もちゃんとあったんだよなあと✨

いつも何となく暗い話になってしまってすみません💦でも事実を此処に書き残しておきたいなと思いました🙂次回小学生編を書かせてもらいますね・・・(笑)

 

今日も1日お疲れさまでした。

1日を乗り切って自分の為に何かを頑張った皆さんは素敵です💕

自分が一番自分を褒めて拍手してくださいね~!👏よくやってるぞ!

皆さんが楽な夜を過ごせますように。お休みなさい🌃

 

こめり🍙